2026/04/09
「おっしゃれー」に殺意を覚えるクリエイターへ。その言葉が再び「重み」を取り戻す日の話【超クリエイティブ力】

「おっしゃれー!」
その一言を投げかけられた瞬間、心のどこかがわずかにピリッとする。
特にデザイナーや表現を生業にする人間にとって、「おしゃれ」という言葉は、時に呪いのように響く。悪気がないのはわかっているんだけど…..
むしろ褒め言葉として発せられていることも理解している。
けれど、僕たちがその一作品、一空間に込めた執念や、夜を徹して削り出した「文脈」が、たった四文字の記号で塗りつぶされ、パッケージ化されていくような、あの言いようのないジレンマ。
なぜ、僕たちは「おしゃれ」に嫌悪感を抱くのか。 そして、この「言葉のインフレ」が起きている時代の出口はどこにあるのか。少し深掘りしてみたいと思う。
かつて、名乗ることに高いハードルがあった言葉たちが、今は驚くほど軽やかに消費されている。
例えば、建築業界における「デザイナーズマンション」という言葉。 本来、そこに住む人の人生を思考し、構造と美学を突き詰めた結果としての称号だったはず。しかし今では、意図もなく外壁を貼り分けただけの物件までが「デザイナーズ」と銘打たれる。
これは、かつて「建築家」や「デザイナー」が持っていた社会的ブランドの境界線が崩壊した結果だろう。かつては一定の評価を得た者のみが許された聖域に、資格さえあれば、あるいは自称さえすれば誰でも踏み込めるようになった。
芸能界が「テレビの中の特権」だった時代が終わり、YouTubeという波に飲まれていったように、設計のプロフェッショナルと施工のプロフェッショナルの境界も溶け合っている。この「誰でも名乗れる、誰でも手に入る」という民主化は、業界に新しい活力を与えた一方で、言葉の「重み」を奪い去ったと思う。
アパレルの世界を見れば、より顕著だ。 マルジェラが服の四隅に施した、あの白い糸。本来は「ブランド名ではなく、服そのもののクオリティを見てほしい」という願いを込め、購入者が切り取ることを想定したデザインだった。しかし今、その糸を切り落とす人はほとんどいない。糸そのものが「おしゃれな記号」として消費されているからだ。
SNS戦略に舵を切ったハイブランドも同様だ。 歴史や文化という重厚な背景も、今の時代は「戦略」というフィルターを通さなければビジネスとして成立しない。エビデンスのない直感と、自分たちのポリシーを天秤にかけ、当たった者が「正義」となるビジネス戦国時代。
僕たちは、そんな「一瞬のインパクト」が最優先される乱世の中で、必死に自分たちの純度を保とうともがいている。だからこそ、表層だけをなぞったような「おしゃれ」という評価に、過敏に反応してしまうんじゃないかなぁ。
実は「おしゃれ」の語源を辞書で紐解くと、意外な言葉が並ぶ。 そこには、単なる身なりだけでなく「立ち居振る舞いや生き方まで含めた、粋で洗練された美意識」とある。本来は、内面から滲み出る「生き様」を指す言葉だったのだ。
しかし、2000年代以降のファストファッションの台頭、そしてSNSの普及が、「おしゃれ」を「写真一枚に収まる視覚的記号」へと変換させてしまったのだろう。
だが、希望はある。 皮肉にもその「表層のメッキ」を剥がすのは、AIの台頭じゃないかなぁって思う。
AIは、過去の「おしゃれな画像」を学習し、10秒足らずで完璧な「おしゃれ」を生成する。もし「おしゃれ」が単なる視覚的な組み合わせに過ぎないのなら、それはもはや人間がやるべき仕事ではなくなる。
人々がAIの生成する「完璧な表層」に飽き始めたとき、世の中は気づくと思う。「物語のない美しさに、価値はない」ということに。
「おしゃれ」という言葉は、再びその原点である「生き方」や「粋」という重みを取り戻すと思ってる。AIの進化に比例して、文脈や職人技術、そしてクリエイターの執念といった「目に見えない裏側」の価値が再定義される日は近いんじゃないかなぁ。
だから、今「おしゃれ」と言われてピリッとしている人は、もう少しだけ辛抱して、自分のクリエイティブを信じたほうがいい。
もしまた「おっしゃれー!」と言われたら、心の中で「あなたの生き様は、とても洗練されているね」と変換すれば、少しは心が穏やかになる。
言葉を深掘りし、自分なりの折り合いをつけること。それもまた、クリエイターとして健やかに生きるための「粋な」振る舞いだと思うのだ。
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もしこの記事が、クリエイティブに悩む誰かのヒントになれば幸いです。
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